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溝口哲也選手が実感した現在の全日本

TEXT/ 田宮徹 

PHOTO/モトクロnet

十数年前まで全日本モトクロス選手権のカワサキファクトリーチームライダーとして活躍し、2003年には当時のIA125クラス(現在のIA2)でシリーズタイトルを獲得した経歴も持つ溝口哲也選手。2021年、なんと引退から11年ぶりとなる全日本スポット参戦を果たした溝口選手に、現在の全日本モトクロス選手権について感じたことをお聞きしました。

元ファクトリーライダー、11年ぶりのレース参戦

1995年に国際B級250ccクラスチャンピオンを獲得して国際A級に昇格し、その後は2010年まで全日本モトクロス選手権に参戦した溝口哲也選手。カワサキファクトリーチームに在籍していた2003年には、カワサキ4スト250ccマシンデビューイヤーでシリーズタイトルを獲得。開発ライダーとしての役割も果たしました。

2006年からは最高峰クラスのIA1にエントリー。この年、ランキング3位を獲得しています。2008年の開幕戦ヒート2では最高峰クラス初優勝。しかしケガでシーズン中盤を棒に振り、この年でファクトリーチームのシートを失ってしまいました。そして翌年はカワサキ系のサテライトチームに移籍。

2010年はKTMにマシンをスイッチして最高峰クラスにフル参戦し、この年で現役生活にピリオドを打ちました。

2021年シーズンの全日本モトクロス選手権は、IA1チャンピオンを獲得した29歳の山本鯨選手が現役引退を電撃発表。さらに、第6戦HSR九州大会のIA2クラスにスポット参戦して3ヒート制覇を達成した23歳の古賀太基選手も、このレースでレーサーとしての活動を最後とすることを公表しています。溝口選手が引退したのは31歳で、山本選手や古賀選手と比べたら長い競技人生でしたが、マシンの4スト化やサスペンション&タイヤの進化、スポーツ科学の発展により、モトクロスライダーの選手寿命は延びる方向にあり、31歳だった溝口選手でも当時は「引退が早すぎる」と惜しまれたものです。

そんな現役最後のレースから11年が経過し、2021年10月に開催された全日本モトクロス選手権第6戦HSR九州大会に、溝口選手がスポット参戦。残念ながら結果は予選落ちでしたが、地元・九州の会場を沸かせました。そこでモトクロnetでは、選手としては11年間も全日本から離れていた溝口選手に、当時と現在の違いなど、感じたことを聞いてみました。

親子二人三脚から生まれた、父の全日本復帰

2010年、最後のシーズンはうず潮レーシング福山でKTMのマシンに乗った溝口選手。当時のことを、「そろそろ潮時かな……というのはありました」と振り返ります。

「正直なところまだ乗りたいという気持ちはあったのですが、いい条件での契約というのは難しくなってきていました。仕事をしながらレースを続けるという選択肢もあったのですが、上を目指すならそれでは厳しい……ということで、レースはすっぱり止めて、家業(博多あご入りふりだしで知られる味の和光)を継ぎました」

そんな溝口選手だが、レース参戦を離れてからもバイクには乗っていました。というのも、長男の寿希也選手が本格的なレース参戦を続けていて、その練習に付き合ってきたため。ちなみに寿希也選手は2021年、全日本のIBオープンクラスにフル参戦しました。

「寿希也が所属するT-Factorというのは、私が立ち上げたチーム。九州のメンバーでやっています。カワサキプラザ福岡東の協力も得て、“With T-Factory”として活動。寿希也の練習にはほぼ付きっきりで、自分も一緒にライディングすることが多々ありました」

溝口選手が11年ぶりの全日本出場を決めたのは、そんな寿希也選手に思うところがあったから。父としてライダーの先輩として、ライディングや実際のレースに臨む姿勢で伝えたいことがあったようです。

「2021年、寿希也がIBに昇格して全日本にもフル参戦することになったのですが、シーズン序盤は予選落ちを喫するなど、思うような成績を残せずにいました。そこで、自分も寿希也の練習パートナーとして一緒にライディングしながら、寿希也のスキルアップを図ってきたのですが、そのうちに自分もまあまあ乗れるなあ……と。息子が予選を通らずにいたので、『父も久々のレース参戦で頑張るんだから、オマエも頑張れ!』という無言のメッセージを込めるという意味でも、参戦を決めました」

結果は組別予選17位で、あとふたつ届かず予選落ち。しかし、普段は会社の代表取締役として忙しく過ごし、あまり準備に時間をかけられない中で、納得できる走りはできたよう。ちなみに、お父さんのエールが効いたのか、寿希也選手は予選を通過しました。

十数年の間に全日本は落ち着いた!?

11年ぶりの全日本参戦。それまでも会場は訪れていたものの、ライダーとして過ごすレースの現場に、溝口選手は懐かしさも感じたようです。

「他人から見られるとか、期待してもらうとか、もちろん普段の生活でもそういうシーンがないわけではありませんが、やっぱりレースは特別です。その一方で、自分はすでに第一線を退いているので、レースに対してノープレッシャーで臨めたというのが、現役時代とは大きく違うところです」

そして溝口選手は、自分自身の立場や気持ちだけでなく、参戦しているライダーの雰囲気にも、十数年間での変化を感じたようです。

「自分たちが現役の時代は、もう少し“ガツガツ”していたような気がします。ケンカするわけではないですけど、全体的にもっとバトルも激しかったような……。それと比べると、現在の全日本はちょっと落ち着いているというか、悪く言ってしまうと貪欲さは少ないように思います。まあ、レースを取り巻く環境は残念ながら良くなる方向ではないので、それも当然かもしれません。同時に、パドックの雰囲気はそれほど大きく変わっていないんじゃないかとも思いました」

またライダーのスキルに関しても、現在よりエントリー台数が多かった十数年前とは異なる印象だったようですが、こちらに関しては明言は避けていました。

「IA2に限った話で言えば、自分が現役だったころのほうが速かったんじゃないかと思いますが、予選落ちした自分がそう言うのもなんですし、そうでなくても自分は実戦から十年以上も離れていたわけで、正当な評価ができるかは怪しいところですよね」

マシンの進化がライダー寿命の延長をもたらす!?

ところで溝口選手は、11年ぶりの全日本スポット参戦に際して、予選落ちがないIA1ではなく、敢えてIA2にエントリーしました。これは、寿希也選手がKX250Fでレースに参戦しているということに加えて、溝口選手が250を好んでいることもあったようです。

「現役時代から、250Fのほうが好きというのもあったのですが、450は重たいから、何かあったときに対処しきれない可能性が高くなるので、予選落ちがあってもIA2を選びました。それにIA2のほうが、若い子たちも多くて楽しいじゃないですか!」

現役じゃないからこそ、楽しさや現実的な要素も大切。250Fに乗るのは、寿希也選手のマシンに何かあったときに、少ないスペアパーツの準備でも対処できる可能性が高まるということも意味します。今後も、溝口選手は250Fのライディングを続ける予定。「またそのうち、九州大会だけとか出場できたらいいなあ……なんて思っています」とのことでした。

「モトクロッサーというのは年々進化している乗り物ですが、自分の場合は約10年のブランクがあり、さらにKX250Fのライディングということではさらに間隔が開いたので、昔のマシンと比べて大幅に乗りやすくなっていることに衝撃を受けました。コントローラブルになったことで、ベテランライダーでもある程度のレベルで走らせられるようになっています。もちろん、だからこそトップライダーたちは昔よりもさらに速く走らなければならないわけですが、それとは別に、我々のような大ベテランが復帰する気を起こさせてくれる性能でもあると思います」

若いライダーの引退が相次いだ2021年。しかしモトクロスそのものは、ベテランになっても続けられる要素が、昔よりも増えているようです。2022年、溝口選手が再びスポット参戦して予選通過を果たしてくれたら、さらにそれを証明することになるでしょう。