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チャンピオンの旅立ち~山本鯨引退~

TEXT/ 田宮徹 

PHOTO/モトクロnet

有終の美というよりも、モトクロスというスポーツに幼いころから真摯に向き合ってきた男に対する、神様からのお祝いだったのかもしれない。
山本鯨は、2021年の全日本モトクロス選手権シリーズIA1タイトルを最後の勲章に、レーサーとしての人生にピリオドを打つ。

間違いなく日本のトップライダーだった

山本鯨(けい)、引退。2021年の全日本モトクロス選手権シリーズで、もっとも大きなニュースはこれだろう。
17歳で迎えた2009年シーズンに、全日本のIBオープン&IB2でダブルチャンピオンに輝いた山本は、翌年からスズキのファクトリーライダーとして全日本IA2クラスに参戦。
鳴り物入りの全日本トップライセンスカテゴリー参戦とは裏腹に、初年度と2年目はケガに泣いてランキングは低迷したが、3年目の2012年にシリーズタイトルを獲得した。
翌年はホンダ系のチームに移籍し、再びIA2クラスに参戦。シーズン中盤の北海道大会で負傷して両ヒートでノーポイントを喫しながらも、ランキング2位となった(チャンピオンは富田俊樹)。

そして翌年から、山本はホンダのサポートを受けながらモトクロス世界選手権にチャレンジ。
初年度はMX2だったが、2015~2016年は最高峰クラスのMXGPにフルエントリーしてスピードとテクニックを磨いた。2017年に活動の場を日本に戻し、ホンダのファクトリーライダーとして全日本最高峰のIA1に参戦。
その初年度にいきなりチャンピオンを獲得すると、2018年こそほぼ最終戦ヒート2で転倒ノーポイントに終わってほぼ手中に収めていたチャンピオンを逃したが、2019年は再び年間タイトルを獲得。
ホンダのファクトリーチーム活動休止により、2020年からは選手兼監督の小島庸平が率いるBells Racingが母体となるチームでの活動に移行したが、それでも2020年、そして2021年も王座を守った。
全日本モトクロス選手権では、最高峰のIA1で4回、IA2で1回のチャンピオンに輝いたことになる。

早すぎる衝撃の引退宣言

2021年の最終戦(延期された第2戦中国大会)、富田に対して10点差のランキングトップで最終レースを迎えた山本は、スタート直後から富田と激しい攻防を繰り広げた後、富田の激しいアタックを受けて接触転倒。
これでほぼ最後尾となる21番手からのレースとなった。富田が優勝した場合、山本がタイトルを獲得する条件は3位以内。山本はレース中盤に4番手まで追い上げたものの、3番手との差があまり詰まらずにいた。
するとレース終盤、富田が2番手に後退。これでチャンピオンになる条件が6位以内と緩くなった山本が、4位でフィニッシュしてシリーズタイトルを獲得した。

ゴール後、大粒の涙をこぼし感情をむき出しにしながら、支えてきてくれたチームの仲間や家族と抱き合った山本。たしかにレースはとてもドラマチックな展開だったが、山本と“チームK”のメンバーがそこまで感傷的になるのには、もうひとつ理由があった。
そしてそれは、直後に開かれたポーディアムでのチャンピオンセレモニーで、山本自身のコメントによって明らかになる。

「皆さんにまだ報告できていなくて、自分の口で今日発表したいと思っていたことがあります。今シーズンをもって現役を引退して、自分自身の新たなキャリアを築く決断をしました。
26年間、モトクロスライダーとして人生を歩んできました。朝起きてから夜寝るまで、モトクロスのためだけに生きてきました。皆さんの支えによって、そういう生活を送れたことは本当に幸せでした。
30歳になる節目の年に(※誕生日は12月でこの段階では29歳)、新たなステップに進めるということも本当に幸せに感じています。
今後、これまでライダーとしてやってきた以上に、(モトクロスやバイクの)業界に貢献できる人間になって、これまで協力してくれた方々や応援してくれた皆さんに恩返しできるよう、精一杯生きていきたいと思います」

ほぼ最初から引退を決意して臨んだシーズンだった

全日本の最高峰クラスでシリーズタイトルを獲得したライダーが、その獲得年度をもって引退することなど、そうあることではない。
少なくとも、チャンピオンがAMAから“出稼ぎ”にやって来た外国人ライダーではなくなった2000年以降では初めてのこと。
そして、4スト化をはじめとするマシンの進化とフィジカルに対する研究が進んだ現代において、プロとして活躍してきた一流ライダーが30歳で引退というのは、ロードレースと比べて“ライダー寿命”が短めなモトクロスとはいえ、ちょっと早すぎる。
しかし本人は、シーズン序盤ですでに意思を固めていたという。

「自分の中で引退を決意したのは4月ごろ。そこから、自分自身に鞭を打ったし、いろんな方々に打ってもらい、みんなに協力してもらい奮い立たせてもらいながら、チャンピオンに向けてモチベーションを高めてきた1年間でした」

すっかり日が落ちた会場でホンダが開催したセレモニーで、山本はこのようにシーズンを振り返っている。
山本が引退という決断に至った真意は、もちろん本人にしかわからないことだが、モトクロスという競技に極めてストイックな姿勢で臨んできた山本だからこそ、このような選択になったのかもしれない。
実際、その後に話を聞いたとき山本はこのように答えてくれた。

「引退を決めた理由はいっぱいあります。いっぱいありますが、それは自分自身のことも多いですし、(大好きなモトクロスの)業界に言うべきではないことも……。
なので自分の胸に秘めておきたいとは思います。ただ、(トップレーサーとして)このパフォーマンスを維持し続けるというのも大変なことですから」

レース人生を振り返るような戦いの末に

2021年のシリーズタイトル獲得がかかった現役最終レースで、富田との接触転倒により1周目に転倒した山本。
ホンダのセレモニーでは、4位で終わったそのレースこそが、現役生活における「自分のベストレース」と語った。

「順位は4位でしたが、自分の力を出し切るという約束をして、最後まで絶対に諦めないということを誓って臨んだレース。
結果として、最後にチャンピオンを獲得できて、本当に幸せだと思っています」

転倒したオープニングラップの21番手から、2周目に12番手、3周目に8番手、4周目には5番手というレース序盤の驚異的な追い上げ。
追う相手が全日本トップクラスのライバルとなったレース中盤以降も、必死に喰らいついた。

「転倒したとき、『よし、ここからだな』と思いました。まるで、自分のレース人生を振り返るような……」

IA1ルーキーでファクトリーチーム入りしながらケガに泣き、世界で揉まれるも日本ではあまり高い評価を得られずにいた。
10代中盤で“若き天才”としてモトクロス業界の注目を集めた山本だったが、実際には“出遅れ”のプロライダー人生だった。
だからこそ、周囲はこう思うのかもしれない。「たしかに5年間で4度、最高峰クラスのタイトルを獲得したけど、まだまだこれからじゃないか!」と。

しかし周囲が何を言おうとも、自分自身の決断に山本が揺らぐことはほとんどないだろう。
そうやってストイックを貫いて、ライダーとしてのポテンシャルを保ってきたのが山本鯨というライダーなのだ。
寂しくないといえば噓になるし、もったいなさも感じている。
しかし同時に、「なんだか最後まで、山本鯨らしいなあ」とも思うのだ。その走りをもう見られないのは残念だが、人生の新しいステップでも活躍することを願いたい。